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執筆者の写真risa yukimura

親からの世話と愛着が得られなかった私の子ども時代:後編

更新日:3月9日

こんばんは。

カウンセラーの幸村です。


前回は、愛着が不足していた私の幼少期からの体験を事例に、この発達性トラウマについてご説明しました。


愛されないことを自分の問題として受け入れ、


・人に何かを求めてはいけない

・発言するなら、人から必要とされることを言わなければいけない

・欲しいものを手に入れるには、酷い罰を受けて辛い思いがともなう


そんな葛藤を漠然とかかえるようになった背景が分かるかと思います。


・好きな事をやっていいんですよ、と言われても抵抗を感じる

・自分は何がしたいのか分からない


こういった訴えも、トラウマが原因であれば、理屈で片付くほど単純ではない場合もあります。

それは、脳の発達段階に、トラウマという形で自分の一部となってしまったのだから、当然です。


そしてこれらは、モラハラ被害者と共通する傾向でもあり、このタイプのトラウマを持つ人は、モラハラ加害者と非常に相性が良かったりもします。

頑張り続ける先に、何か良いことがある気がして自分を追い立てますが、実は頑張らなくても良いことに気付かず、そのレールから外れることができない、そんな痛ましさがあります。



ちなみに、前回の記事の誕生日のエピソードですが、あの状況では、子どもは諦める以外の選択肢がない、と私はずっと思っていました。

しかし、記事を書くにあたって、ふと娘に聞いてみました。


年に一度の誕生日のプレゼントを買いに行って、時間内に決まらなかったからプレゼントなしって言われたら?


すると娘が言ってくれました。


ママは絶対そんなこと言わない!

もし今決まらなかったら、「時間をかけて欲しい物を考えたら?」って権利を保留してくれる!


そうか、これが健全な子どもの感覚だよね。

ちゃんと親を信じて期待してくれててよかった。

自分が子どもの頃は辛い思い出だけど、娘とのつながりを実感して、心がふわっとゆるむのを感じました。


次は、大人になってから、このトラウマによって私の人生がどのような影響を受けたかの体験をお話します。


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