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  • 執筆者の写真risa yukimura

避難後から帰宅まで、狂気の1週間

更新日:2023年6月21日


こんばんは。 モラハラカウンセラーの幸村です。 子供たちと実家に帰省しました。 今夜あたり、母と乾杯しながら、 7年前をふりかえることになりそうです。 前回の続きになりますが...

実家に避難してから家に戻るまでの1週間は 結婚生活11年間の闇の集大成のようでした。 毎日のように態度を豹変させ、 それまでの結婚生活でやり取りしてきた会話や信頼関係を 自ら一蹴し、すべてを無と化した1週間でした。 人間、こんなにも手の平を返すことが出来るものなんだ、 と、にわかには信じられず、大分混乱しました。 実家から出て最初の2~3日では、ありもしない話の誹謗中傷で、 家計を男に使い込んで貯金が貯まっていなかった、 子供を甘やかしすぎて子供をダメにした、 母親失格の最低女だから子供は自分が引き取る、 男から手当をもらっているから金も家も当然要らないでしょう、 というような内容。 もう、ひどい、の一言に尽きますね。 捏造話の攻撃が一通り済むと、その後は 私がこの件を両親に知られたくない、と思ったらしく、 「あなたではお話にならないので、 子供は任せられる状態にないことを あなたのご両親にお話ししなければなりませんね」 と脅しをかけてきました。 しかし私はすでに両親に全てを打ち明けていたので、 困らないことが分かると、 少しでも優位に立とうと、次は両親を東京に呼びつけようとしました。 さらに翌日、本当に来られては困ると思ったのか、 「やっぱり両親まで動かさなくていい、 僕が悪かったし、あなたの気持ちは分かったから、 僕は家を出て、どこか遠くに行くよ、 でも最後に二人だけで会いたいから、この後時間作ってください」 と、しおらしい態度に出ました。 二人だけで会えば丸め込める、と思ったのでしょう。 断る理由も必要ないし、一言「無理です」だけで済んだのに、 当時、強烈な上下関係の中に生きていた私にとって それは当たり前のことではありませんでした。 逆らって逃げ続けていた罪悪感と恐怖から、 時間を作れと言われているのだから、作らなければならない、 その一択が大きすぎて、私は必死に 立ち会ってくれる人をネットで検索し始めました。 結局、会わずに終わりましたが、 夜になって電話がかかってきたて、 「君を傷つける彼はもういないよ。 彼はベースになる人格だったけど、 これ以上は危険だから眠らせた。 これからしばらくは僕が出るから、もう大丈夫だよ」 と、落ち着いたまともな口調で言われました。 彼は、分裂した複数の人格を取りまとめる人格で、 ベースのモラハラ人格はしばらく出さないで管理する という話でした。 今にしてみれば、そんなわけあるか、という話で、 被害者が離れようとすると全力で謝ったり平気でウソをつく、 モラ夫の典型的な言動でした。 多重人格も、当時私が読んでいた 「24人のビリー・ミリガン」という多重人格者の本から 発想を得たのでしょう。 しかし、11年間の結婚生活が一瞬にして幻と化し、 連日続く夜討ち朝駆けのモラハラ攻撃で 私の精神は極限状態まで追い詰められていました。 そして、彼の幼少期に親から受けた扱いや、 その1週間で見せつけられた彼の陰湿な異常性を考えると、 これ以上何が出てきてもおかしくない、 と思わせるものがありました。 また、一緒にいた従姉も当時、脳外科勤務で、 多重人格というオチに大きな納得感があったようで、 「このまともな人格のうちに交渉して、話まとめちゃおうよ」 になりました。 この日、私たちはこの自称「とりまとめ役の人格」と話をし、 約束の期日までに家を出てもらうことで合意が取れました。 その後、彼は約束通り家を空け、私たちが戻りました。 こうして私は子供たちとの安全な生活を始めました。 敵認定されて、あからさまな嫌がらせが始まりましたが、 それと引き換えに、子供と自分の生活を変えずに 一旦、モラ夫だけ排除できたのは大きな成果でした。 一般的には、モラ夫に家を出てもらうことは難しい と言われていますし、実際そうなのだと思います。 この後も子供を利用してコントロールしようとしたり、 それはいろいろありました。 ただ、まずは物理的な距離を確保するのが大切で、 そのために、モラ夫が何に執着していて、何にしていないか、 こだわりのポイントは何なのか、をしっかり押さえると 排除が必ずしも無理なことではないように思えます。 そんなという事例として、この独立記念日のエピソードが 少しでも被害者の方の励みになれば幸いです。

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